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インド仏教復興運動のパシリ日記 時々脱線

Jay Bhim ! Jay Bhim ! Jay Bhim !

   

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ナグプールの写真 その2


インドラ・ブッダ・ビハール(インドラ寺)


インドラ・ブッダ・ビハール ご本尊


ゲストハウス1階の寺 ご本尊と僧侶


ベゾンバグ・ブッダ・ビハール ご本尊と僧尼


ディクシャ・ブーミー


マンセル遺跡


ある仏教徒の仏壇 カレンダーなどを拝んでいた 左は佐々井師の写真


有方静江老人ホーム 入居している人々


2011.1.24 龍樹菩薩大寺 観光客に囲まれる佐々井師


2011.2.6 ドンガルガル アンベードカルの像の横で雄叫びをあげる佐々井師


2011.2.6 ドンガルガル 第18回世界仏教会議の聴衆


2011.2.15 龍樹菩薩大寺 演説を行う佐々井師
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インドでの日々を振り返る(雑感)

 2011年1月〜2月にかけて、現在のインド仏教の最高指導者である佐々井秀嶺師の元を訪れ、大変お世話になった。
 ただ単に佐々井師の活動に共感・感動し、何かお手伝いをしたい!という一心でナグプールまで行った一般人である私を、結果的に佐々井師は受け入れてくださった。
 佐々井師を思い出す時、常に感謝と尊敬の念が私の中に沸き上がる。

 お忙しい佐々井師とはほとんどが別行動だった。最初は何者だかわからないということで佐々井師から警戒すらされていた。師にとって私は厄介者だろうな、と思った。
 しかしインド仏教と佐々井師の活動を見ることのできるチャンスはめったにない。自分で毎日のお勤め(?)を考えて邪魔者扱いされないようにして、できるだけ長くナグプールを見たいと考えた。

 インドラ寺では毎日6時と18時にパーリ語のお経をあげる。近所の仏教徒が欠かさず参加する、インドでいうプージャだ。
 私はお経がわからず毎日ただ黙って座っていたが、すぐに耐えられなくなり、まずはお経を上げられるようになりたいと考えた。デーヴァナーガリー文字を読めない私は、耳コピでお経を書きとめていった。1時間近く続くお経である。この作業は結局1ヶ月間かかり、ナグプールを去る4~5日前にようやく耳コピが完成。ここぞとばかりに大声でお経をあげた。すると、私と同じく文字が読めないがためにお経があげられず、いつもうつむいている仏教徒達がザワザワした。「お経をよんでるよ」「字が読めないのにどうして?」という声が聞こえてくる。しばらくするととなりに座っていた字が読めないおばあさんの声が聞こえて、その周りの人達も声を出し始めた。正確なお経ではないけれど、声を出してお経をあげたいという気持ちが一つになった気がした。私にとって、これがナグプールで一番嬉しい瞬間だった。これが純粋な信仰心だと思った。

 朝のお経が終わると、佐々井師にご挨拶に行く。この時必ず少量の日本食をお布施した。師は毎日仏教徒から家庭料理をお布施としていただいている。これを主食とされているので日本食をメインにしてはいけない。切り干し大根を作った時に師はとても喜ばれ、少しずつ大事そうに召し上がった。本当は日本食が大好きな佐々井師のその姿を見た時、インドで40年間過ごされてきた師のご苦労を垣間見た気がした。

 ご挨拶の後はインドラ寺から徒歩15分ぐらいの寺(通称「ゲストハウス」。1階は寺で僧侶が数名おり、2階は客人用の寝泊まりできる部屋がある。この2階に私は滞在を許された)に戻り、朝ご飯を作って食べ、その後2階の部屋と1階の寺の掃除をする。
 その後はお経の耳コピの整理をして午前中が終わる。
 午後は佐々井師から呼ばれればラッキーで、お手伝いを言いつけられるともっとラッキー。何も無い時は近所の仏教徒の家にお邪魔したり、尼寺に行ったり、時にはヒンドゥー教徒の家にお邪魔して、ナグプールの様子を見て回った。
 ナグプールは仏教の中心地であると同時に、ヒンドゥー教至上主義組織の本拠地でもある。宗教と政治が密着したインドで圧倒的な強さを誇るヒンドゥー教社会が、少数派である仏教徒を迫害している様子を肌で感じた。単に異宗教だからという理由からではなく、強い差別意識とヒンドゥー教徒の利権を増幅させようという考えを基に、暴力を使って仏教徒を排除するのだ。仏教徒が佐々井師によって守られているナグプールでさえ、それを感じた。
 インドには通算6回行っているが、英語がほとんど通じなく外人がいないインドの田舎は初めてだった。私が見て来たインドの地とナグプールは全く違っていた。仏教が浸透しているせいなのか、人々は親切で穏やかだった。貧しい家庭でも、私にお茶やお菓子をご馳走してくれる。そこに損得勘定は一切ない。現実にはまだまだヒンドゥー教社会からの差別が強いが、カーストから解放され「平等」を知った仏教徒達の心の穏やかさに触れ、これが本来のインド人の民族性だと思った。
 
 2月にドンガルガル(Dongargarh)で開催された世界仏教徒会議に同行して以来、佐々井師から呼ばれることが多くなり、怒鳴られながらも笑顔で雑談をされるようになった。この頃からわかってきたが、佐々井師はインド人の前では大声で勇ましく私に向かって「ジャーオ(行きなさい)!」と怒鳴って追い払うが、インド人がいない時は普通に接してくださった。インド人の手前、師は日本人女性と一緒に笑ってはいられないのだ。日本の仏教僧は妻帯し一般人と変わらない生活をしているが、インド仏教僧にこれは全く当てはまらない。戒律が厳しく、本来の意味での僧侶の生活をしている。
 これを理解するまでは辛かったが、佐々井師のお考えがわかるようになり、怒鳴られても平気になった。

 心に残っていることがある。
 インドラ寺のそばに少し知能障害のある青年が住んでいた。エンジニアの専門学校に通えるほどなので読み書きも勉強もできるのだが、時々大声でわめき出したり、よく見るとズボンが破れておしりが丸出しだったり、と少々ぬけた青年だ。
 朝のお経に行く時に彼をよく見かけた。朝早く起きて寺の周りを散歩しているようだった。外国人は珍しいので、彼は好奇心で私にいつも話しかけてくるが「お経があるから後で。」と私はそそくさと寺に入っていた。
 ある日、その彼が寺の中までついてきて、朝のお経の間ずっとご本尊の前に座っていた。その後、私は佐々井師に朝のご挨拶に行った。すると佐々井師が「お前は誰だ!」とヒンディー語で叫んだ。えっ!と驚き後ろを振り返ると、彼が私の後ろについて佐々井師の部屋まで入ってきていたのだ。彼は名を名乗り、近所の者であることを師に告げた。しばらく彼と話をした佐々井師は「あなたはブッダを知っていますか?この本を読みなさい。」と彼に何冊かの本を手渡した。
 その翌朝、インドラ寺に行くと、彼が寺の周りの掃き掃除をしていた。
 「ジャイ・ビーム。あなた何をしてるの?」と私が聞くと「シッ!今は話せない。お経が終わったら。」と昨日までとは真逆な態度で切り返された。
 お経と師への挨拶が終わり、インドラ寺のとなりのチャイ屋で彼と数人の仏教徒と共に話をした。「バンテジーから借りた本を読んだ。ブッダの教えは素晴らしい。バンテジーは偉い人だ。僕は仏教徒になった。」と彼は嬉しそうに話した。
 その後も彼は毎日インドラ寺に来て、掃除をし、お経をあげ、時には佐々井師が乗る車のドアの開け閉めを嬉しそうにやった。一生懸命だった。朝のお経のあとには彼と数人の仏教徒とでチャイを飲んだ。興奮して周りの仏教徒と口喧嘩する彼の真っ直ぐな想いは美しかった。間の抜けた彼の言動に、周りはいつでも笑いが絶えない。この彼を本当の意味で「神の子」だと思った。そして彼に声をかけ仏教徒に改宗し、その後も冗談を言って彼を笑わせたりして、彼を見つめ続ける佐々井師の優しさと、彼を仲間として優しく受けとめる仏教徒達に温かさと希望を感じた。



 私はナグプールを去り、知人を頼ってヒマーチャル・プラデシュに滞在し、そこで首の骨を負傷して7月までインドで静養していた。首が動かなくなり、日本で震災があり、原発事故があり、私の頭は遠いヒマラヤの地で真っ白で空っぽになっていた。


 帰国前のデリーで旧知のチベット人と再会した。彼はインド国籍を持つチベット人で、チベット人コミュニティには属していない一匹狼だ。もちろんヒンドゥー教徒のコミュニティにも入れないので、彼は不可触民と共にいる。
 5年前に彼が一緒にいた不可触民の人々は主に洗濯業やレストランの洗い場、といった職業だった。彼等はカースト・ヒンドゥーからの嫌がらせに耐えながらも助け合い、時には「外人」であるチベット人と私でヒンドゥー教徒の嫌がらせに抗議しにいっていた。人情のある世界だった。
 ところが今回、チベット人の彼は商売で失敗して5年前よりも貧乏になっていた。そして5年前よりもっと過酷な不可触民の居住地にいた。
 その町内ではリキシャーに乗りたくても40ルピー(約80円)がないため、主婦達が近所の旦那さん達に売春するのが日常だった。夜になると街角で、より貧しい者、立場の弱い者に集団で暴力をふるうシーンが見られた。不可触民同士でさらに差別をして「憂さ晴らし」をしていた。私がいちいち反応して、そこに向かおうとすると「お前が殺されるんだよ!関係ない!見るな!」とチベット人から強く制止された。実際、以前のように2人で抗議できるレベルではなかった。私はこの町内を歩いている時にナイフで肩を切られた。荒んだ世界だった。

 ナグプールで仏教に改宗して穏やかに暮らす元・不可触民を見て、帰国間際にデリーに暮らすヒンドゥー教の現役の不可触民を見た。
 カースト差別は人々を苦しめ、地獄のような世界を作っていく。ほんの一握りの人間の利益のために作られたカースト制度。カースト制度はヒンドゥー教と深く結びついているのだが、差別を認める宗教は世界の中で稀だ。どの宗教も慈愛と平等を説いているのに、堂々と差別を取り入れている宗教だ。政治に宗教を利用し、こんな道理がまかり通っているインドという国を考えるとやりきれない思いになる。

 インドのカースト制度は深刻な問題である。シン首相は「2014年までにインドを先進国に仲間入りさせたい」と言うが、民衆の人権と平等がない国は本当の意味での先進国にはなれない。
 これは日本にも言える。カーストのようなハッキリした差別制度はないものの、今の日本人に人権と平等があるだろうか?ほんの一握りの人間の利権のために大多数の民衆が苦しむ社会、という点はインドも日本も同じだ。極端に言えば、世界中のどの国でもそれは同じだ。

 政治と宗教が密着しているインドで、社会的弱者の救済をするために恐ろしく巨大なヒンドゥー教社会と闘い続けている佐々井秀嶺師という存在が、今、とてつもなく大きく感じる。

 「瞑想ではなく、行動だ!」という佐々井師の言葉が心に響く。
 私は今の日本にインドで見た光景を重ね合わせている。
 多くの悲しみと傷みと怒りを超えて、上を向いて歩きたい。

Jay Bhim!!


※ナグプールからのブログは限られた時間の中での更新で、文字を打つだけで精一杯でした。誤字脱字が多く大変読みづらいものとなり、申し訳ありませんでした。
 






ナグプールの写真 その1


1月24日 有方静江老人ホームの老人たち。仏教徒以外の人々も穏やかに生活していた。



1月24日 龍樹菩薩大寺で観光客に囲まれ談笑する佐々井師



2月6日 第18回世界仏教会議が開催されるドンガルカルへ向かう。朝のお茶屋で。



2月6日 ドンガルカルの街中をパレードする佐々井師


2月6日 第18回世界仏教会議(ドンガルカル)で演説をする佐々井師


2月15日 お弟子さんの空龍さんへ空手指導者の免状を渡す佐々井師


2月15日 ナグプールの空手教室の生徒たち




インドラ寺通信・続き

2月9日(続き)
午後から夜まで仏教徒との面談が続いた。

2月10日~13日
筆者は風邪・熱・寝不足・ものもらい等の体調不良が一気に爆発。休養をとった。この間の佐々井師の活動の詳細はわからず。外出はされず、インドラ寺で面談を行われていた。

2月14日
午前と夜に日本から来られた空手家の先生方計4名様をナグプール空港までお迎えに行った。

2月15日
マンセルの龍樹菩薩大寺にて空手の演舞式。
朝9時にインドラ寺集合。空手家の先生方と演舞式の打ち合わせを兼ねて、仏教徒の家で昼食会が開かれた。その後、会場である龍樹菩薩大寺へ移動。午後より開催された。ナグプール市長なども出席され、式は盛大に行われた。
お弟子さんの空龍さんとインド人空手家のアーナンダさんに空手指導者証が佐々井師より渡された。佐々井師は終始笑顔だった。
インド人の空手の演舞、日本からの来賓である空手家の先生方の演舞、空龍さんの演舞…式は19時過ぎまで続いた。
会場となった龍樹菩薩大寺は空手道場としても使用されていて、多くのインド人が通う。空手を通じて体と正しい精神を鍛えていく。こちらの支援も日本の方々にお願いできたら、と現地の人達は言っていた。こちらのお寺での空手の指導者は空龍さん。

2月16日
午前中に空手家の先生2名様を空港にお見送りへ行った。夕方の便で帰国される空手家の先生お二人の買い物(お土産)に同行するように佐々井しから言われ、空龍さんと共に同行。15時30分にナグプール空港で佐々井師と合流し、空手家の先生お二人のお見送りをした。

2月17日
朝のお勤め後に佐々井師に御挨拶に行った際「いつもすみません」と言われた。声が小さく相当お疲れのご様子だ。
その数時間後に師から「そろそろ帰る仕度をしてください」と言われた。筆者はもう少し滞在したいとお願いしたが却下された。
戒律の厳しいインド仏教の僧侶のそばに女性がいてはならない、バンテージーが日本語で女性と話していると不信がるインド人達がいる、と筆者は理解している。「また来なさい」とおっしゃった。涙が出た。
筆者は一旦ナグプールを離れる決意をした。

2月17日
早朝3時、仏教会議のためシルプール(ナグプールから約430キロ)へ向けて僧侶数名と共に出発。

2月18日
深夜1時にシルプールよりインドラ寺に戻る。朝のお勤め時には起きられ、仏教徒との面談をされていた。14時ころより仮眠をとられ17時頃に起床された。

今日で一旦ナグプールからの報告は終わります。一旦インドの他の地を回り、またナグプールに戻りたいと思います。
写真がアップできませんでしたので、他の地でアップします。

佐々井師の活動は休みなく続く。Jay Bhim!!

インドラ寺通信

■■■
2月3日(続き)
佐々井師は午後はマンセルへ外出。21時頃戻られた。

2月4日
午前は仏教徒との面談。筆者は佐々井師から日本への礼状製作を頼まれ、10時から13時頃までインドラ寺を頻繁に出入りしていたが、その間に1時間ほど佐々井師は外出された。夜遅くまで仏教徒との面談が続いた。

2月5日
マンセルにて会議のため11時にインドラ時を出発され、19時頃に戻られた。

2月6日
ドンガルカルの仏教徒の大集会のために、6時にインドラ寺を出発。お弟子さんの空龍さん、タイからのゲスト(僧侶)、インド僧10数名と筆者を引き連れて2台のジープで行った。ドンガルカルに近づくと、バイクに乗った仏教徒軍団がお出迎え、現場まで先導してくれた。10時頃、ドンガルカルに到着。信者の家で朝食をご馳走になり、その後トラック1台と徒歩で町中をパレードしながら、小山の山頂にある金の大仏を目指す。その間、3箇所で佐々井師はお経を上げた。炎天下の中、筆者は大きな仏教旗を持ちながら、大量の水を飲み、頭に水をかけながら歩く。
小山の麓からはトラックは上がれないので全員徒歩。佐々井師の体力が心配だったが、休み休み登って山頂の大仏の前でお経をあげた。
この時点で佐々井師の疲労を思いハラハラしたのだが、やはり超人。すぐに立ち直り、大天幕が張られた小山の麓の集会会場へ向かう。
会場の周りには出店がたくさん並び、大勢の仏教徒とドンガルカルの人々が集まっていた。祭りのような状態。
州の高官なども招かれ、大会は盛大に行われた。壇上には30人以上のゲストと僧侶がいた。ゲストが一人ずつスピーチをしていく。筆者もゲストとして参加したので壇上の席に座っていたのだが、とにかく暑くて意識が朦朧とした。40年以上、もっと過酷な状況で活動をされてきた佐々井師のご苦労を思うと気が遠くなる思いがした。4時間ぐらいスピーチが続いた。筆者も非常に短いがヒンディー語でスピーチをし、師のリクエストにより「上を向いて歩こう」をアカペラで歌った。ややウケかな?と思っていたら、後からいろいろな人に「スピーチが良かった」と言ってもらえた。ホッと胸をなでおろした。州の高官からも誉めていただき、感無量。

そして最後のスピーチは我らが佐々井師。マイクの前に立った佐々井師は悠然とし、大きな声でわかりやすい言葉で演説された。ドンガルカルの民衆は師に釘付けになり、真剣な眼差しを注いだ。この時の師のお姿は非常に大きく見えた。頼りがいのあるインド仏教徒1億5千万人の指導者は今日も健在だ。
大会は終わり、18時に会場を後にした。途中で軽食をとり、ナグプールに戻ったのは23時過ぎだった。


2月7日
佐々井師は朝から通常通り仏教徒との面談を開始した。筆者は疲労で休息をとった。佐々井師の復活の早さに驚いた。75歳でここまで働く人を私は知らない。やはり超人である。恐れ入りました。この日は夜までインドラ時で仏教徒との面談をされていた。
2月15日の空手演舞式の準備が始まった。

2月8日
この日も終日までインド仏教や僧侶との面談。

2月9日
午前中は仏教徒との面談。現在10時過ぎ。










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