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  <title type="text">Jay Bhim !  Jay Bhim !  Jay Bhim !</title>
  <subtitle type="html">インド仏教復興運動のパシリ日記　時々脱線</subtitle>
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  <updated>2010-11-04T19:14:55+09:00</updated>
  <author><name>Nagavalok</name></author>
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    <published>2023-08-22T16:21:01+09:00</published> 
    <updated>2023-08-22T16:21:01+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ナグプールで見たこと　追加</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[2011年1〜2月のナグプール滞在で見た事を残しておきます。<br />
日本人女性Tさんのことです。<br />
<br />
1月中旬頃、佐々井秀嶺師の寺であるインドラ ・ブッダ・ビハールに<br />
日本人女性のTさんが訪れた。高学歴のヒンディー語話者の独身女性。<br />
若かったが生気がなく疲れた感じだった。<br />
1日の滞在でナグプールの様子を見たい、とのこと。<br />
佐々井師は仏教徒の家での祈祷に彼女を連れて行き、その帰りにマンセル遺跡、<br />
ディクシャ・ブーミなどを見学させた。<br />
Tさんはデリーの知人宅に戻る、と言って夕方にナグプールを出た。<br />
<br />
その夜、佐々井師から呼ばれて私はインドラ寺に行った。<br />
佐々井師「おい、今日来た日本人女性の電話番号を聞いておいたんだ。<br />
お前、電話しなさい。ナグプールに呼び戻す。」<br />
私「何かあったんですか？」<br />
佐々井師「昼間に仏教徒の家に彼女を連れて行っただろ？私がお経をあげてる間、<br />
彼女の声で死にたい死にたい、と聞こえたんだ。彼女は黙ってうつむいていたが、<br />
あれは彼女の心の声だ。あれは放っておいたら死ぬぞ。私が彼女に祈祷する。呼び戻せ」<br />
私はTさんに電話し、2日後にTさんはナグプールに戻ってきた。<br />
私は佐々井師から「Tさんには悪霊が取り付いている、祈祷で成敗する。<br />
その間、お前はTさんのそばについて彼女の面倒を見なさい」と仰せつかった。<br />
<br />
毎晩とはいかなかったが、夜に1時間ほど佐々井師はTさんの頭を棒で叩きながら<br />
南無妙法蓮華経を唱え続けた。<br />
Tさんの滞在先は仏教徒の中で一番金持ちの家、そこから祈祷の時に寺に通う。<br />
<br />
彼女は向精神薬を10年以上飲み続けている状態だった。それが悪霊だった。<br />
佐々井師は薬を取り上げ断薬させて祈祷を始めた。<br />
いきなり断薬したTさんは、悪寒、多汗、幻覚を見たり叫んだり泣いたりしていた。<br />
時には道端にうずくまって動けなくなる。倒れることもあった。<br />
突然躁転して街でインド人に声をかけまくったりもする。<br />
私はTさんから目が離せなかった。<br />
いきなりの断薬はすごく苦しそうだった。苦しい状態が1週間ぐらい続いたが<br />
その後Tさんは落ち着いていった。<br />
<br />
佐々井師の祈祷は2週間以上続いた。<br />
一生懸命に祈祷をあげる佐々井師。<br />
<br />
私は佐々井師から祈祷をあげてもらっているTさんが羨ましかった。<br />
ある日、私が<br />
「お師匠様。私、心も頭もおかしいんです。<br />
私にも祈祷してください！」とお願いすると佐々井師は<br />
「バカもん！！お前は自分の頭で考えて行動をとっているじゃないか！<br />
そんな奴には祈祷などしない！私は自分の頭で考えられなくなっている<br />
弱っている人に祈祷をするんだ！」と激怒された。<br />
私がバカで恥ずかしい話。<br />
<br />
毎日6時と18時、インドラ寺に仏教徒が集まり1時間の読経がある。<br />
ある朝、奇声を発し仏像によじ登る者が出た。他にも奇声を発する人、<br />
おかしな行動をとる人が数名いた。<br />
<br />
朝7時からの面談の時間、佐々井師は私に<br />
「Tさんの悪霊が大きすぎてなかなか成敗できない。<br />
さっき奇声を発してる者がいただろ？あれはTさんの悪霊に反応してるんだ。<br />
仏教徒が不安になっている。今すぐTさんを日本に帰しなさい」と仰った。<br />
<br />
インド仏教徒たちは佐々井師が日本人女性に一生懸命祈祷をあげていることが不安だった。<br />
自分たちのバンテージーが自分たちを見てくれない、と不安になったのではないか？<br />
しかし「わざわざデリーから呼び戻されたTさんを途中で放り出されるのはどうなんでしょうか？<br />
もう少しなので祈祷を続けてあげてください」と私は言った。<br />
佐々井師は反論した私に激怒されたが、結局Tさんへの祈祷を続けられた。<br />
数日後、Tさんはすっかり元気になり日本に帰国した。向精神薬をやめた。<br />
<br />
佐々井師はTさんを救った。<br />
<br />
数年後、Tさんから結婚の報告があった。ナグプール出身のインド人と結婚した、と。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>Nagavalok</name>
        </author>
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    <id>nagpur.blog.shinobi.jp://entry/9</id>
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    <published>2011-10-19T21:25:35+09:00</published> 
    <updated>2011-10-19T21:25:35+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>ナグプールの写真　その２</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0753.JPEG" alt="" /><br />
インドラ・ブッダ・ビハール（インドラ寺）<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/indorabuddha.JPEG" alt="" /><br />
インドラ・ブッダ・ビハール　ご本尊<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0732.JPEG" alt="" /><br />
ゲストハウス１階の寺　ご本尊と僧侶<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0791.JPEG" alt="" /><br />
ベゾンバグ・ブッダ・ビハール　ご本尊と僧尼<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0781.JPEG" alt="" /><br />
ディクシャ・ブーミー<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0766.JPEG" alt="" /><br />
マンセル遺跡<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0751.JPEG" alt="" /><br />
ある仏教徒の仏壇　カレンダーなどを拝んでいた　左は佐々井師の写真<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0761.JPEG" alt="" /><br />
有方静江老人ホーム　入居している人々<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0774.JPEG" alt="" /><br />
2011.1.24　龍樹菩薩大寺　観光客に囲まれる佐々井師<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/dgsasai.JPEG" alt="" /><br />
2011.2.6　ドンガルガル　アンベードカルの像の横で雄叫びをあげる佐々井師<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0808.JPEG" alt="" /><br />
2011.2.6　ドンガルガル　第18回世界仏教会議の聴衆<br />
<br />
<img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/IMGP0822.JPEG" alt="" /><br />
2011.2.15　龍樹菩薩大寺　演説を行う佐々井師]]> 
    </content>
    <author>
            <name>Nagavalok</name>
        </author>
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    <id>nagpur.blog.shinobi.jp://entry/8</id>
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    <published>2011-10-19T01:13:27+09:00</published> 
    <updated>2011-10-19T01:13:27+09:00</updated> 
    <category term="日本" label="日本" />
    <title>インドでの日々を振り返る（雑感）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　2011年1月〜2月にかけて、現在のインド仏教の最高指導者である佐々井秀嶺師の元を訪れ、大変お世話になった。<br />
　ただ単に佐々井師の活動に共感・感動し、何かお手伝いをしたい！という一心でナグプールまで行った一般人である私を、結果的に佐々井師は受け入れてくださった。<br />
　佐々井師を思い出す時、常に感謝と尊敬の念が私の中に沸き上がる。<br />
<br />
　お忙しい佐々井師とはほとんどが別行動だった。最初は何者だかわからないということで佐々井師から警戒すらされていた。師にとって私は厄介者だろうな、と思った。<br />
　しかしインド仏教と佐々井師の活動を見ることのできるチャンスはめったにない。自分で毎日のお勤め（？）を考えて邪魔者扱いされないようにして、できるだけ長くナグプールを見たいと考えた。<br />
<br />
　インドラ寺では毎日6時と18時にパーリ語のお経をあげる。近所の仏教徒が欠かさず参加する、インドでいうプージャだ。<br />
　私はお経がわからず毎日ただ黙って座っていたが、すぐに耐えられなくなり、まずはお経を上げられるようになりたいと考えた。デーヴァナーガリー文字を読めない私は、耳コピでお経を書きとめていった。1時間近く続くお経である。この作業は結局１ヶ月間かかり、ナグプールを去る4~5日前にようやく耳コピが完成。ここぞとばかりに大声でお経をあげた。すると、私と同じく文字が読めないがためにお経があげられず、いつもうつむいている仏教徒達がザワザワした。「お経をよんでるよ」「字が読めないのにどうして？」という声が聞こえてくる。しばらくするととなりに座っていた字が読めないおばあさんの声が聞こえて、その周りの人達も声を出し始めた。正確なお経ではないけれど、声を出してお経をあげたいという気持ちが一つになった気がした。私にとって、これがナグプールで一番嬉しい瞬間だった。これが純粋な信仰心だと思った。<br />
<br />
　朝のお経が終わると、佐々井師にご挨拶に行く。この時必ず少量の日本食をお布施した。師は毎日仏教徒から家庭料理をお布施としていただいている。これを主食とされているので日本食をメインにしてはいけない。切り干し大根を作った時に師はとても喜ばれ、少しずつ大事そうに召し上がった。本当は日本食が大好きな佐々井師のその姿を見た時、インドで40年間過ごされてきた師のご苦労を垣間見た気がした。<br />
<br />
　ご挨拶の後はインドラ寺から徒歩15分ぐらいの寺（通称「ゲストハウス」。１階は寺で僧侶が数名おり、２階は客人用の寝泊まりできる部屋がある。この２階に私は滞在を許された）に戻り、朝ご飯を作って食べ、その後２階の部屋と１階の寺の掃除をする。<br />
　その後はお経の耳コピの整理をして午前中が終わる。<br />
　午後は佐々井師から呼ばれればラッキーで、お手伝いを言いつけられるともっとラッキー。何も無い時は近所の仏教徒の家にお邪魔したり、尼寺に行ったり、時にはヒンドゥー教徒の家にお邪魔して、ナグプールの様子を見て回った。<br />
　ナグプールは仏教の中心地であると同時に、ヒンドゥー教至上主義組織の本拠地でもある。宗教と政治が密着したインドで圧倒的な強さを誇るヒンドゥー教社会が、少数派である仏教徒を迫害している様子を肌で感じた。単に異宗教だからという理由からではなく、強い差別意識とヒンドゥー教徒の利権を増幅させようという考えを基に、暴力を使って仏教徒を排除するのだ。仏教徒が佐々井師によって守られているナグプールでさえ、それを感じた。<br />
　インドには通算６回行っているが、英語がほとんど通じなく外人がいないインドの田舎は初めてだった。私が見て来たインドの地とナグプールは全く違っていた。仏教が浸透しているせいなのか、人々は親切で穏やかだった。貧しい家庭でも、私にお茶やお菓子をご馳走してくれる。そこに損得勘定は一切ない。現実にはまだまだヒンドゥー教社会からの差別が強いが、カーストから解放され「平等」を知った仏教徒達の心の穏やかさに触れ、これが本来のインド人の民族性だと思った。<br />
　<br />
　2月にドンガルガル（Dongargarh)で開催された世界仏教徒会議に同行して以来、佐々井師から呼ばれることが多くなり、怒鳴られながらも笑顔で雑談をされるようになった。この頃からわかってきたが、佐々井師はインド人の前では大声で勇ましく私に向かって「ジャーオ（行きなさい）！」と怒鳴って追い払うが、インド人がいない時は普通に接してくださった。インド人の手前、師は日本人女性と一緒に笑ってはいられないのだ。日本の仏教僧は妻帯し一般人と変わらない生活をしているが、インド仏教僧にこれは全く当てはまらない。戒律が厳しく、本来の意味での僧侶の生活をしている。<br />
　これを理解するまでは辛かったが、佐々井師のお考えがわかるようになり、怒鳴られても平気になった。<br />
<br />
　心に残っていることがある。<br />
　インドラ寺のそばに少し知能障害のある青年が住んでいた。エンジニアの専門学校に通えるほどなので読み書きも勉強もできるのだが、時々大声でわめき出したり、よく見るとズボンが破れておしりが丸出しだったり、と少々ぬけた青年だ。<br />
　朝のお経に行く時に彼をよく見かけた。朝早く起きて寺の周りを散歩しているようだった。外国人は珍しいので、彼は好奇心で私にいつも話しかけてくるが「お経があるから後で。」と私はそそくさと寺に入っていた。<br />
　ある日、その彼が寺の中までついてきて、朝のお経の間ずっとご本尊の前に座っていた。その後、私は佐々井師に朝のご挨拶に行った。すると佐々井師が「お前は誰だ！」とヒンディー語で叫んだ。えっ！と驚き後ろを振り返ると、彼が私の後ろについて佐々井師の部屋まで入ってきていたのだ。彼は名を名乗り、近所の者であることを師に告げた。しばらく彼と話をした佐々井師は「あなたはブッダを知っていますか？この本を読みなさい。」と彼に何冊かの本を手渡した。<br />
　その翌朝、インドラ寺に行くと、彼が寺の周りの掃き掃除をしていた。<br />
　「ジャイ・ビーム。あなた何をしてるの？」と私が聞くと「シッ！今は話せない。お経が終わったら。」と昨日までとは真逆な態度で切り返された。<br />
　お経と師への挨拶が終わり、インドラ寺のとなりのチャイ屋で彼と数人の仏教徒と共に話をした。「バンテジーから借りた本を読んだ。ブッダの教えは素晴らしい。バンテジーは偉い人だ。僕は仏教徒になった。」と彼は嬉しそうに話した。<br />
　その後も彼は毎日インドラ寺に来て、掃除をし、お経をあげ、時には佐々井師が乗る車のドアの開け閉めを嬉しそうにやった。一生懸命だった。朝のお経のあとには彼と数人の仏教徒とでチャイを飲んだ。興奮して周りの仏教徒と口喧嘩する彼の真っ直ぐな想いは美しかった。間の抜けた彼の言動に、周りはいつでも笑いが絶えない。この彼を本当の意味で「神の子」だと思った。そして彼に声をかけ仏教徒に改宗し、その後も冗談を言って彼を笑わせたりして、彼を見つめ続ける佐々井師の優しさと、彼を仲間として優しく受けとめる仏教徒達に温かさと希望を感じた。<br />
<br />
<br />
<br />
　私はナグプールを去り、知人を頼ってヒマーチャル・プラデシュに滞在し、そこで首の骨を負傷して７月までインドで静養していた。首が動かなくなり、日本で震災があり、原発事故があり、私の頭は遠いヒマラヤの地で真っ白で空っぽになっていた。<br />
<br />
<br />
　帰国前のデリーで旧知のチベット人と再会した。彼はインド国籍を持つチベット人で、チベット人コミュニティには属していない一匹狼だ。もちろんヒンドゥー教徒のコミュニティにも入れないので、彼は不可触民と共にいる。<br />
　５年前に彼が一緒にいた不可触民の人々は主に洗濯業やレストランの洗い場、といった職業だった。彼等はカースト・ヒンドゥーからの嫌がらせに耐えながらも助け合い、時には「外人」であるチベット人と私でヒンドゥー教徒の嫌がらせに抗議しにいっていた。人情のある世界だった。<br />
　ところが今回、チベット人の彼は商売で失敗して５年前よりも貧乏になっていた。そして５年前よりもっと過酷な不可触民の居住地にいた。<br />
　その町内ではリキシャーに乗りたくても40ルピー（約80円）がないため、主婦達が近所の旦那さん達に売春するのが日常だった。夜になると街角で、より貧しい者、立場の弱い者に集団で暴力をふるうシーンが見られた。不可触民同士でさらに差別をして「憂さ晴らし」をしていた。私がいちいち反応して、そこに向かおうとすると「お前が殺されるんだよ！関係ない！見るな！」とチベット人から強く制止された。実際、以前のように２人で抗議できるレベルではなかった。私はこの町内を歩いている時にナイフで肩を切られた。荒んだ世界だった。<br />
<br />
　ナグプールで仏教に改宗して穏やかに暮らす元・不可触民を見て、帰国間際にデリーに暮らすヒンドゥー教の現役の不可触民を見た。<br />
　カースト差別は人々を苦しめ、地獄のような世界を作っていく。ほんの一握りの人間の利益のために作られたカースト制度。カースト制度はヒンドゥー教と深く結びついているのだが、差別を認める宗教は世界の中で稀だ。どの宗教も慈愛と平等を説いているのに、堂々と差別を取り入れている宗教だ。政治に宗教を利用し、こんな道理がまかり通っているインドという国を考えるとやりきれない思いになる。<br />
<br />
　インドのカースト制度は深刻な問題である。シン首相は「2014年までにインドを先進国に仲間入りさせたい」と言うが、民衆の人権と平等がない国は本当の意味での先進国にはなれない。<br />
　これは日本にも言える。カーストのようなハッキリした差別制度はないものの、今の日本人に人権と平等があるだろうか？ほんの一握りの人間の利権のために大多数の民衆が苦しむ社会、という点はインドも日本も同じだ。極端に言えば、世界中のどの国でもそれは同じだ。<br />
<br />
　政治と宗教が密着しているインドで、社会的弱者の救済をするために恐ろしく巨大なヒンドゥー教社会と闘い続けている佐々井秀嶺師という存在が、今、とてつもなく大きく感じる。<br />
<br />
　「瞑想ではなく、行動だ！」という佐々井師の言葉が心に響く。<br />
　私は今の日本にインドで見た光景を重ね合わせている。<br />
　多くの悲しみと傷みと怒りを超えて、上を向いて歩きたい。<br />
<br />
Jay Bhim!!<br />
<br />
<br />
※ナグプールからのブログは限られた時間の中での更新で、文字を打つだけで精一杯でした。誤字脱字が多く大変読みづらいものとなり、申し訳ありませんでした。<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]> 
    </content>
    <author>
            <name>Nagavalok</name>
        </author>
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    <published>2011-02-24T17:06:32+09:00</published> 
    <updated>2011-02-24T17:06:32+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>ナグプールの写真　その1</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/2f02dde5.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298535135/" border="0" alt="" /></a><br />
1月24日　有方静江老人ホームの老人たち。仏教徒以外の人々も穏やかに生活していた。<br />
<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/5c6d0ebe.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298534653/" border="0" alt="" /></a><br />
1月24日　龍樹菩薩大寺で観光客に囲まれ談笑する佐々井師<br />
<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/d495de2b.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298534654/" border="0" alt="" /></a><br />
2月6日　第18回世界仏教会議が開催されるドンガルカルへ向かう。朝のお茶屋で。<br />
<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/81e4cd9a.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298534655/" border="0" alt="" /></a><br />
2月6日　ドンガルカルの街中をパレードする佐々井師<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/7a40dffe.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298534656/" border="0" alt="" /></a><br />
2月6日　第18回世界仏教会議（ドンガルカル）で演説をする佐々井師<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/d271ebb0.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298535858/" border="0" alt="" /></a><br />
2月15日　お弟子さんの空龍さんへ空手指導者の免状を渡す佐々井師<br />
<br />
<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/8cfdbe25.jpeg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1298535859/" border="0" alt="" /></a><br />
2月15日　ナグプールの空手教室の生徒たち<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]> 
    </content>
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            <name>Nagavalok</name>
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    <published>2011-02-19T20:28:22+09:00</published> 
    <updated>2011-02-19T20:28:22+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>インドラ寺通信・続き</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[２月９日（続き）<br />
午後から夜まで仏教徒との面談が続いた。<br />
<br />
２月１０日～１３日<br />
筆者は風邪・熱・寝不足・ものもらい等の体調不良が一気に爆発。休養をとった。この間の佐々井師の活動の詳細はわからず。外出はされず、インドラ寺で面談を行われていた。<br />
<br />
２月１４日<br />
午前と夜に日本から来られた空手家の先生方計４名様をナグプール空港までお迎えに行った。<br />
<br />
２月１５日<br />
マンセルの龍樹菩薩大寺にて空手の演舞式。<br />
朝９時にインドラ寺集合。空手家の先生方と演舞式の打ち合わせを兼ねて、仏教徒の家で昼食会が開かれた。その後、会場である龍樹菩薩大寺へ移動。午後より開催された。ナグプール市長なども出席され、式は盛大に行われた。<br />
お弟子さんの空龍さんとインド人空手家のアーナンダさんに空手指導者証が佐々井師より渡された。佐々井師は終始笑顔だった。<br />
インド人の空手の演舞、日本からの来賓である空手家の先生方の演舞、空龍さんの演舞…式は１９時過ぎまで続いた。<br />
会場となった龍樹菩薩大寺は空手道場としても使用されていて、多くのインド人が通う。空手を通じて体と正しい精神を鍛えていく。こちらの支援も日本の方々にお願いできたら、と現地の人達は言っていた。こちらのお寺での空手の指導者は空龍さん。<br />
<br />
2月16日<br />
午前中に空手家の先生2名様を空港にお見送りへ行った。夕方の便で帰国される空手家の先生お二人の買い物（お土産）に同行するように佐々井しから言われ、空龍さんと共に同行。15時30分にナグプール空港で佐々井師と合流し、空手家の先生お二人のお見送りをした。<br />
<br />
２月１７日<br />
朝のお勤め後に佐々井師に御挨拶に行った際「いつもすみません」と言われた。声が小さく相当お疲れのご様子だ。<br />
その数時間後に師から「そろそろ帰る仕度をしてください」と言われた。筆者はもう少し滞在したいとお願いしたが却下された。<br />
戒律の厳しいインド仏教の僧侶のそばに女性がいてはならない、バンテージーが日本語で女性と話していると不信がるインド人達がいる、と筆者は理解している。「また来なさい」とおっしゃった。涙が出た。<br />
筆者は一旦ナグプールを離れる決意をした。<br />
<br />
２月１７日<br />
早朝３時、仏教会議のためシルプール（ナグプールから約430キロ）へ向けて僧侶数名と共に出発。<br />
<br />
２月１８日<br />
深夜１時にシルプールよりインドラ寺に戻る。朝のお勤め時には起きられ、仏教徒との面談をされていた。１４時ころより仮眠をとられ１７時頃に起床された。<br />
<br />
今日で一旦ナグプールからの報告は終わります。一旦インドの他の地を回り、またナグプールに戻りたいと思います。<br />
写真がアップできませんでしたので、他の地でアップします。<br />
<br />
佐々井師の活動は休みなく続く。Jay Bhim!!]]> 
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            <name>Nagavalok</name>
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    <published>2011-02-09T13:53:32+09:00</published> 
    <updated>2011-02-09T13:53:32+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>インドラ寺通信</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<span style="font-size:150%">■■■</span><br />
２月３日（続き）<br />
佐々井師は午後はマンセルへ外出。２１時頃戻られた。<br />
<br />
２月４日<br />
午前は仏教徒との面談。筆者は佐々井師から日本への礼状製作を頼まれ、１０時から１３時頃までインドラ寺を頻繁に出入りしていたが、その間に１時間ほど佐々井師は外出された。夜遅くまで仏教徒との面談が続いた。<br />
<br />
２月５日<br />
マンセルにて会議のため１１時にインドラ時を出発され、１９時頃に戻られた。<br />
<br />
２月６日<br />
ドンガルカルの仏教徒の大集会のために、６時にインドラ寺を出発。お弟子さんの空龍さん、タイからのゲスト（僧侶）、インド僧１０数名と筆者を引き連れて２台のジープで行った。ドンガルカルに近づくと、バイクに乗った仏教徒軍団がお出迎え、現場まで先導してくれた。１０時頃、ドンガルカルに到着。信者の家で朝食をご馳走になり、その後トラック１台と徒歩で町中をパレードしながら、小山の山頂にある金の大仏を目指す。その間、３箇所で佐々井師はお経を上げた。炎天下の中、筆者は大きな仏教旗を持ちながら、大量の水を飲み、頭に水をかけながら歩く。<br />
小山の麓からはトラックは上がれないので全員徒歩。佐々井師の体力が心配だったが、休み休み登って山頂の大仏の前でお経をあげた。<br />
この時点で佐々井師の疲労を思いハラハラしたのだが、やはり超人。すぐに立ち直り、大天幕が張られた小山の麓の集会会場へ向かう。<br />
会場の周りには出店がたくさん並び、大勢の仏教徒とドンガルカルの人々が集まっていた。祭りのような状態。<br />
州の高官なども招かれ、大会は盛大に行われた。壇上には３０人以上のゲストと僧侶がいた。ゲストが一人ずつスピーチをしていく。筆者もゲストとして参加したので壇上の席に座っていたのだが、とにかく暑くて意識が朦朧とした。４０年以上、もっと過酷な状況で活動をされてきた佐々井師のご苦労を思うと気が遠くなる思いがした。４時間ぐらいスピーチが続いた。筆者も非常に短いがヒンディー語でスピーチをし、師のリクエストにより「上を向いて歩こう」をアカペラで歌った。ややウケかな？と思っていたら、後からいろいろな人に「スピーチが良かった」と言ってもらえた。ホッと胸をなでおろした。州の高官からも誉めていただき、感無量。<br />
<br />
そして最後のスピーチは我らが佐々井師。マイクの前に立った佐々井師は悠然とし、大きな声でわかりやすい言葉で演説された。ドンガルカルの民衆は師に釘付けになり、真剣な眼差しを注いだ。この時の師のお姿は非常に大きく見えた。頼りがいのあるインド仏教徒１億５千万人の指導者は今日も健在だ。<br />
大会は終わり、１８時に会場を後にした。途中で軽食をとり、ナグプールに戻ったのは２３時過ぎだった。<br />
<br />
<br />
２月７日<br />
佐々井師は朝から通常通り仏教徒との面談を開始した。筆者は疲労で休息をとった。佐々井師の復活の早さに驚いた。７５歳でここまで働く人を私は知らない。やはり超人である。恐れ入りました。この日は夜までインドラ時で仏教徒との面談をされていた。<br />
２月１５日の空手演舞式の準備が始まった。<br />
<br />
２月８日<br />
この日も終日までインド仏教や僧侶との面談。<br />
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２月９日<br />
午前中は仏教徒との面談。現在１０時過ぎ。<br />
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    <published>2011-02-03T13:23:59+09:00</published> 
    <updated>2011-02-03T13:23:59+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>ナグプールより・２</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<span style="font-size:150%">■■■</span><br />
1月28日　３つの仏教徒プログラムに出発するのを変更し、明日出発で日帰りにするという。この日は佐々井師は「久しぶりによく寝た」と笑顔を見せた。<br />
<br />
1月29日<br />
深夜に上記プログラムに向けてアウランガバードへ出発。戻るのは明日の予定。<br />
<br />
1月30日<br />
10時頃にアウランガバードから戻られた。少々の睡眠をとった後、夜遅くまで仏教徒との面談が続いた。<br />
<br />
1月31日<br />
午前中から外出。明日行われるデモの打ち合わせ。筆者は19時にインドラ寺にいたが、まだ戻られていなかった。<br />
<br />
2月1日<br />
8時に日本から訪れていた取材班を見送りにナグプール空港へ。<br />
14時からナグプールのリゾルバンク・チョークにてデモ。<br />
筆者は女性であり危険、という理由から同行できてなかったので詳細はわからず。18時頃に戻り、その後は仏教徒との面談が続く。<br />
<br />
2月2日<br />
昨日、仏教徒の米200俵が焼かれるという事件があった。佐々井師はデモの疲れでこの日は寺で休む予定だったが、午前中から外出。夕方に戻られた。この事件の詳細を調べて抗議しなければいけない、とおっしゃっていた。<br />
<br />
2月3日<br />
朝8時にナグプール空港へ出発。お弟子さんの空龍さんを迎えに行った。現在10時前。空龍さんを連れて無事に戻られ、久しぶりの再会を喜ばれている。<br />
<br />
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]]> 
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    <published>2011-01-28T14:20:30+09:00</published> 
    <updated>2011-01-28T14:20:30+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>インドラ寺より</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<span style="font-size:150%">■■■</span><br />
1月24日午後<br />
佐々井師と日本からの取材2組と筆者でマンセル遺跡、南天龍宮城、老人ホームを訪れた。<br />
広大な土地に浮かぶマンセル遺跡は約2200年前のもの。まだ多くの部分が埋没しているという。発掘には巨額の資金が必要なため、現在、発掘は一時的に休止中。実際に遺跡を訪れ、佐々井師の業績の大きさに驚いた。<br />
老人ホームには約20人の老人が暮らしていた。仏教徒に限らず、他宗教の老人も入居していた。穏やかな暮らしぶりが伺えた。<br />
<br />
1月25日<br />
この日佐々井師は、午前中に仏教徒との面談、午後から少し離れた村の葬式へ行き、夕方に戻られた。<br />
筆者はディクシャ・ブーミを訪れ、美しい巨大なドームに圧倒される。10月の大改宗式にはここに約10万人の仏教徒が集まるという。<br />
昨日のマンセルといい、このディクシャ・ブーミといい、佐々井師のスケールの大きさには驚くばかりだ。<br />
<br />
1月26日<br />
佐々井師は朝からマンセルと龍宮城方面に出かけ、夜9時頃に戻った。<br />
<br />
1月27日<br />
午前中は仏教徒との面談、正午頃から日本からの取材、17時頃から僧侶達との会議。19時から仏教徒への祈祷。佐々井師は過密スケジュールのため体調が良くないという。<br />
<br />
1月28日<br />
ここから400キロぐらいの所（詳細不明）で仏教徒のプログラムが３つあるため、僧侶と日本からの取材者を連れて出発。戻るのは1月30日の予定。詳細は戻られた後に伺いたい。<br />
<br />
※次回あたりから写真をアップしていきます。現在、写真のアップロードができない状況です。<br />
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    <published>2011-01-24T14:16:04+09:00</published> 
    <updated>2011-01-24T14:16:04+09:00</updated> 
    <category term="インド" label="インド" />
    <title>ナグプールより</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<span style="font-size:150%">■■■</span><br />
ナグプールに着いて５日目。<br />
ようやくブログの更新ができる状況になった。<br />
このブログでは佐々井秀嶺師の日常の様子を伝えていきたい。<br />
<br />
佐々井師の毎日は多忙だ。<br />
75歳とは思えない、その活躍ぶりに驚く毎日だ。<br />
<br />
1月18日<br />
午前6時から仏教徒との面談。喉を痛めて声がほとんどでていない。夜遅くまで続く。<br />
1月19日<br />
朝に仏教徒との面談の後、午前9時に隣州のチャッティスガルへ会議のために出発。<br />
1月20日<br />
チャッティスガルから午前5時に戻る。3時間睡眠をとり、午前9時にナグプール空港まで日本からの取材陣を迎えに行く。<br />
その後マンセル遺跡で取材とインタビュー。<br />
1月21日<br />
一日中取材。<br />
1月22日<br />
午前3時まで取材が続いた。午後1時から5時までインドラ寺にて開催された仏教徒の集会に出席。<br />
1月23日<br />
昨日と同じく、午後1時から5時までインドラ寺にて開催された仏教徒の集会に出席。この日は筆者は熱で一日寝ていたので詳しい状況はわからず。<br />
1月24日<br />
午前9時にナグプール空港まで日本からの来賓を迎えに行っている。<br />
午後には取材陣と来賓を連れて、マンセル遺跡に行く予定。<br />
筆者も同行予定。]]> 
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    <published>2010-11-04T22:26:48+09:00</published> 
    <updated>2010-11-04T22:26:48+09:00</updated> 
    <category term="日本" label="日本" />
    <title>「必生　闘う仏教」佐々井秀嶺</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="//nagpur.blog.shinobi.jp/File/hissei-150.jpg" target="_blank"><img src="//nagpur.blog.shinobi.jp/Img/1288876660/" border="0" alt="" /></a><br /><br />
集英社新書より発売された、佐々井秀嶺・著「必生　闘う仏教」。<br />
インド仏教徒１億５千万人の最高指導者がその半生と活動を自ら語っている。佐々井師についての入門書といえる。仏教とインドについての知識がない人にも読みやすく、わかりやすい内容。<br />
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佐々井師はインド帰化仏教僧。1967年に渡印し、以来2009年に一時帰国するまで一度も日本に帰らず、インドの最下層民衆とともにインド仏教の復興に努めてこられた。現在、この瞬間も現代インド仏教の本拠地・ナグプールで活動されている。<br />
<br />
「体で仏典を読む」という佐々井師の言葉からもわかるように、頭ではなく体（実体験、実践）で菩薩道を示していく求道者としての姿が強烈。涙もろく、義理と人情を大切にする人柄にも強く惹かれる。古き良き日本人らしさを持ち続けながらもインド民衆に溶け込み、厚い信頼を得ている師の活動と魅力が伝わる一冊。<br />
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☆「必生」の印税は日本政府の課税分を除き、全て佐々井師とインド仏教復興運動に布施されます。印税は必ず佐々井師の元に届きます。「必生」をご購入いただくだけで、即お布施になります。]]> 
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