■■■2月3日(続き)
佐々井師は午後はマンセルへ外出。21時頃戻られた。
2月4日
午前は仏教徒との面談。筆者は佐々井師から日本への礼状製作を頼まれ、10時から13時頃までインドラ寺を頻繁に出入りしていたが、その間に1時間ほど佐々井師は外出された。夜遅くまで仏教徒との面談が続いた。
2月5日
マンセルにて会議のため11時にインドラ時を出発され、19時頃に戻られた。
2月6日
ドンガルカルの仏教徒の大集会のために、6時にインドラ寺を出発。お弟子さんの空龍さん、タイからのゲスト(僧侶)、インド僧10数名と筆者を引き連れて2台のジープで行った。ドンガルカルに近づくと、バイクに乗った仏教徒軍団がお出迎え、現場まで先導してくれた。10時頃、ドンガルカルに到着。信者の家で朝食をご馳走になり、その後トラック1台と徒歩で町中をパレードしながら、小山の山頂にある金の大仏を目指す。その間、3箇所で佐々井師はお経を上げた。炎天下の中、筆者は大きな仏教旗を持ちながら、大量の水を飲み、頭に水をかけながら歩く。
小山の麓からはトラックは上がれないので全員徒歩。佐々井師の体力が心配だったが、休み休み登って山頂の大仏の前でお経をあげた。
この時点で佐々井師の疲労を思いハラハラしたのだが、やはり超人。すぐに立ち直り、大天幕が張られた小山の麓の集会会場へ向かう。
会場の周りには出店がたくさん並び、大勢の仏教徒とドンガルカルの人々が集まっていた。祭りのような状態。
州の高官なども招かれ、大会は盛大に行われた。壇上には30人以上のゲストと僧侶がいた。ゲストが一人ずつスピーチをしていく。筆者もゲストとして参加したので壇上の席に座っていたのだが、とにかく暑くて意識が朦朧とした。40年以上、もっと過酷な状況で活動をされてきた佐々井師のご苦労を思うと気が遠くなる思いがした。4時間ぐらいスピーチが続いた。筆者も非常に短いがヒンディー語でスピーチをし、師のリクエストにより「上を向いて歩こう」をアカペラで歌った。ややウケかな?と思っていたら、後からいろいろな人に「スピーチが良かった」と言ってもらえた。ホッと胸をなでおろした。州の高官からも誉めていただき、感無量。
そして最後のスピーチは我らが佐々井師。マイクの前に立った佐々井師は悠然とし、大きな声でわかりやすい言葉で演説された。ドンガルカルの民衆は師に釘付けになり、真剣な眼差しを注いだ。この時の師のお姿は非常に大きく見えた。頼りがいのあるインド仏教徒1億5千万人の指導者は今日も健在だ。
大会は終わり、18時に会場を後にした。途中で軽食をとり、ナグプールに戻ったのは23時過ぎだった。
2月7日
佐々井師は朝から通常通り仏教徒との面談を開始した。筆者は疲労で休息をとった。佐々井師の復活の早さに驚いた。75歳でここまで働く人を私は知らない。やはり超人である。恐れ入りました。この日は夜までインドラ時で仏教徒との面談をされていた。
2月15日の空手演舞式の準備が始まった。
2月8日
この日も終日までインド仏教や僧侶との面談。
2月9日
午前中は仏教徒との面談。現在10時過ぎ。
PR
COMMENT
Jay Bhim!
無題
コメントを頂き、ありがとうございます!
デリーにおります。久しぶりの都会で楽しくやっております。
また移動しましたら、ご連絡致します!
無題
さて一点、法名HNのローマ字綴りですが、正確には「Nagavalok」です。
龍(Naga)+観世音(Avalok)ですのでネ。(^^)b