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インド仏教復興運動のパシリ日記 時々脱線

Jay Bhim ! Jay Bhim ! Jay Bhim !

   

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インドでの日々を振り返る(雑感)

 2011年1月〜2月にかけて、現在のインド仏教の最高指導者である佐々井秀嶺師の元を訪れ、大変お世話になった。
 ただ単に佐々井師の活動に共感・感動し、何かお手伝いをしたい!という一心でナグプールまで行った一般人である私を、結果的に佐々井師は受け入れてくださった。
 佐々井師を思い出す時、常に感謝と尊敬の念が私の中に沸き上がる。

 お忙しい佐々井師とはほとんどが別行動だった。最初は何者だかわからないということで佐々井師から警戒すらされていた。師にとって私は厄介者だろうな、と思った。
 しかしインド仏教と佐々井師の活動を見ることのできるチャンスはめったにない。自分で毎日のお勤め(?)を考えて邪魔者扱いされないようにして、できるだけ長くナグプールを見たいと考えた。

 インドラ寺では毎日6時と18時にパーリ語のお経をあげる。近所の仏教徒が欠かさず参加する、インドでいうプージャだ。
 私はお経がわからず毎日ただ黙って座っていたが、すぐに耐えられなくなり、まずはお経を上げられるようになりたいと考えた。デーヴァナーガリー文字を読めない私は、耳コピでお経を書きとめていった。1時間近く続くお経である。この作業は結局1ヶ月間かかり、ナグプールを去る4~5日前にようやく耳コピが完成。ここぞとばかりに大声でお経をあげた。すると、私と同じく文字が読めないがためにお経があげられず、いつもうつむいている仏教徒達がザワザワした。「お経をよんでるよ」「字が読めないのにどうして?」という声が聞こえてくる。しばらくするととなりに座っていた字が読めないおばあさんの声が聞こえて、その周りの人達も声を出し始めた。正確なお経ではないけれど、声を出してお経をあげたいという気持ちが一つになった気がした。私にとって、これがナグプールで一番嬉しい瞬間だった。これが純粋な信仰心だと思った。

 朝のお経が終わると、佐々井師にご挨拶に行く。この時必ず少量の日本食をお布施した。師は毎日仏教徒から家庭料理をお布施としていただいている。これを主食とされているので日本食をメインにしてはいけない。切り干し大根を作った時に師はとても喜ばれ、少しずつ大事そうに召し上がった。本当は日本食が大好きな佐々井師のその姿を見た時、インドで40年間過ごされてきた師のご苦労を垣間見た気がした。

 ご挨拶の後はインドラ寺から徒歩15分ぐらいの寺(通称「ゲストハウス」。1階は寺で僧侶が数名おり、2階は客人用の寝泊まりできる部屋がある。この2階に私は滞在を許された)に戻り、朝ご飯を作って食べ、その後2階の部屋と1階の寺の掃除をする。
 その後はお経の耳コピの整理をして午前中が終わる。
 午後は佐々井師から呼ばれればラッキーで、お手伝いを言いつけられるともっとラッキー。何も無い時は近所の仏教徒の家にお邪魔したり、尼寺に行ったり、時にはヒンドゥー教徒の家にお邪魔して、ナグプールの様子を見て回った。
 ナグプールは仏教の中心地であると同時に、ヒンドゥー教至上主義組織の本拠地でもある。宗教と政治が密着したインドで圧倒的な強さを誇るヒンドゥー教社会が、少数派である仏教徒を迫害している様子を肌で感じた。単に異宗教だからという理由からではなく、強い差別意識とヒンドゥー教徒の利権を増幅させようという考えを基に、暴力を使って仏教徒を排除するのだ。仏教徒が佐々井師によって守られているナグプールでさえ、それを感じた。
 インドには通算6回行っているが、英語がほとんど通じなく外人がいないインドの田舎は初めてだった。私が見て来たインドの地とナグプールは全く違っていた。仏教が浸透しているせいなのか、人々は親切で穏やかだった。貧しい家庭でも、私にお茶やお菓子をご馳走してくれる。そこに損得勘定は一切ない。現実にはまだまだヒンドゥー教社会からの差別が強いが、カーストから解放され「平等」を知った仏教徒達の心の穏やかさに触れ、これが本来のインド人の民族性だと思った。
 
 2月にドンガルガル(Dongargarh)で開催された世界仏教徒会議に同行して以来、佐々井師から呼ばれることが多くなり、怒鳴られながらも笑顔で雑談をされるようになった。この頃からわかってきたが、佐々井師はインド人の前では大声で勇ましく私に向かって「ジャーオ(行きなさい)!」と怒鳴って追い払うが、インド人がいない時は普通に接してくださった。インド人の手前、師は日本人女性と一緒に笑ってはいられないのだ。日本の仏教僧は妻帯し一般人と変わらない生活をしているが、インド仏教僧にこれは全く当てはまらない。戒律が厳しく、本来の意味での僧侶の生活をしている。
 これを理解するまでは辛かったが、佐々井師のお考えがわかるようになり、怒鳴られても平気になった。

 心に残っていることがある。
 インドラ寺のそばに少し知能障害のある青年が住んでいた。エンジニアの専門学校に通えるほどなので読み書きも勉強もできるのだが、時々大声でわめき出したり、よく見るとズボンが破れておしりが丸出しだったり、と少々ぬけた青年だ。
 朝のお経に行く時に彼をよく見かけた。朝早く起きて寺の周りを散歩しているようだった。外国人は珍しいので、彼は好奇心で私にいつも話しかけてくるが「お経があるから後で。」と私はそそくさと寺に入っていた。
 ある日、その彼が寺の中までついてきて、朝のお経の間ずっとご本尊の前に座っていた。その後、私は佐々井師に朝のご挨拶に行った。すると佐々井師が「お前は誰だ!」とヒンディー語で叫んだ。えっ!と驚き後ろを振り返ると、彼が私の後ろについて佐々井師の部屋まで入ってきていたのだ。彼は名を名乗り、近所の者であることを師に告げた。しばらく彼と話をした佐々井師は「あなたはブッダを知っていますか?この本を読みなさい。」と彼に何冊かの本を手渡した。
 その翌朝、インドラ寺に行くと、彼が寺の周りの掃き掃除をしていた。
 「ジャイ・ビーム。あなた何をしてるの?」と私が聞くと「シッ!今は話せない。お経が終わったら。」と昨日までとは真逆な態度で切り返された。
 お経と師への挨拶が終わり、インドラ寺のとなりのチャイ屋で彼と数人の仏教徒と共に話をした。「バンテジーから借りた本を読んだ。ブッダの教えは素晴らしい。バンテジーは偉い人だ。僕は仏教徒になった。」と彼は嬉しそうに話した。
 その後も彼は毎日インドラ寺に来て、掃除をし、お経をあげ、時には佐々井師が乗る車のドアの開け閉めを嬉しそうにやった。一生懸命だった。朝のお経のあとには彼と数人の仏教徒とでチャイを飲んだ。興奮して周りの仏教徒と口喧嘩する彼の真っ直ぐな想いは美しかった。間の抜けた彼の言動に、周りはいつでも笑いが絶えない。この彼を本当の意味で「神の子」だと思った。そして彼に声をかけ仏教徒に改宗し、その後も冗談を言って彼を笑わせたりして、彼を見つめ続ける佐々井師の優しさと、彼を仲間として優しく受けとめる仏教徒達に温かさと希望を感じた。



 私はナグプールを去り、知人を頼ってヒマーチャル・プラデシュに滞在し、そこで首の骨を負傷して7月までインドで静養していた。首が動かなくなり、日本で震災があり、原発事故があり、私の頭は遠いヒマラヤの地で真っ白で空っぽになっていた。


 帰国前のデリーで旧知のチベット人と再会した。彼はインド国籍を持つチベット人で、チベット人コミュニティには属していない一匹狼だ。もちろんヒンドゥー教徒のコミュニティにも入れないので、彼は不可触民と共にいる。
 5年前に彼が一緒にいた不可触民の人々は主に洗濯業やレストランの洗い場、といった職業だった。彼等はカースト・ヒンドゥーからの嫌がらせに耐えながらも助け合い、時には「外人」であるチベット人と私でヒンドゥー教徒の嫌がらせに抗議しにいっていた。人情のある世界だった。
 ところが今回、チベット人の彼は商売で失敗して5年前よりも貧乏になっていた。そして5年前よりもっと過酷な不可触民の居住地にいた。
 その町内ではリキシャーに乗りたくても40ルピー(約80円)がないため、主婦達が近所の旦那さん達に売春するのが日常だった。夜になると街角で、より貧しい者、立場の弱い者に集団で暴力をふるうシーンが見られた。不可触民同士でさらに差別をして「憂さ晴らし」をしていた。私がいちいち反応して、そこに向かおうとすると「お前が殺されるんだよ!関係ない!見るな!」とチベット人から強く制止された。実際、以前のように2人で抗議できるレベルではなかった。私はこの町内を歩いている時にナイフで肩を切られた。荒んだ世界だった。

 ナグプールで仏教に改宗して穏やかに暮らす元・不可触民を見て、帰国間際にデリーに暮らすヒンドゥー教の現役の不可触民を見た。
 カースト差別は人々を苦しめ、地獄のような世界を作っていく。ほんの一握りの人間の利益のために作られたカースト制度。カースト制度はヒンドゥー教と深く結びついているのだが、差別を認める宗教は世界の中で稀だ。どの宗教も慈愛と平等を説いているのに、堂々と差別を取り入れている宗教だ。政治に宗教を利用し、こんな道理がまかり通っているインドという国を考えるとやりきれない思いになる。

 インドのカースト制度は深刻な問題である。シン首相は「2014年までにインドを先進国に仲間入りさせたい」と言うが、民衆の人権と平等がない国は本当の意味での先進国にはなれない。
 これは日本にも言える。カーストのようなハッキリした差別制度はないものの、今の日本人に人権と平等があるだろうか?ほんの一握りの人間の利権のために大多数の民衆が苦しむ社会、という点はインドも日本も同じだ。極端に言えば、世界中のどの国でもそれは同じだ。

 政治と宗教が密着しているインドで、社会的弱者の救済をするために恐ろしく巨大なヒンドゥー教社会と闘い続けている佐々井秀嶺師という存在が、今、とてつもなく大きく感じる。

 「瞑想ではなく、行動だ!」という佐々井師の言葉が心に響く。
 私は今の日本にインドで見た光景を重ね合わせている。
 多くの悲しみと傷みと怒りを超えて、上を向いて歩きたい。

Jay Bhim!!


※ナグプールからのブログは限られた時間の中での更新で、文字を打つだけで精一杯でした。誤字脱字が多く大変読みづらいものとなり、申し訳ありませんでした。
 






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感動しました☆

素晴しい!たいがいインド報告といえば「短期旅行者の上っ面だけの感想」や「特に恵まれた人達に囲まれてステイした幸せ者のカゴノトリ幻想」が殆どですが、それらとはまったく別の、まさに現地人と同じ目の高さで見た秀逸なルポ!しかも、しっかりと本質を見極め、それをテーマ中央の奥に据えた上で、文章全体を構築していることに脱帽!本当に感動しました。

無題

コメントをありがとうございます。
長い駄文を読んでいただき、さらにはお褒めの言葉をいただき、恐縮です。
佐々井師の活動がこれからも広がっていくことを願っています。

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